ひとりの人間として
未来のために
日本のことを思う

人は生を受けた尊さを知り、それを生かしていかねばなりません。
人は失敗を繰り返し、それを乗り越えて成長していきます。
しかし、今、日本社会は、失敗を許さない社会になっていませんか。
どんな境遇でも前を向いて、自分の足で歩んでいける社会。
ひとり一人の夢の実現に向け、やり直しができる社会。
自立した個人が、自立した国家・地域を創っていくと信じています。


1989年 衆議院選挙 初挑戦
「初心 忘れるべからず」

      『アーカイブ・8年前の今日の私』

     「樽床活動レポート」 にシリーズ連載しています。


     8年前は、2度目の落選(1989年の初挑戦も落選でした)を経験し、

     臥薪嘗胆の日々を送っていました。

     今一度、その時のことを思い出し、

     ~捲土重来~を期しています。




2006年 撮影 

 

『わが師、松下幸之助 ~「松下政経塾」最後の直弟子として~』 (2003年 出版)


第一部を 「私の主張」 に連載いたしました。

(2011年6月9日~2013年4月24日、92回連載)




この拙書は、衆議院議員として10年の区切りとして、2003年に出版したものです。

私が政治家を志した想いなどを書かせていただきました。

2014年4月 ホームページをリニューアルいたしました。

「樽床活動レポート」
・フィリピン視察記(2013,2)
・沖縄視察記(2013,4)
・アメリカ視察記(2013,5)
・北方領土視察記(2013,9)
・東欧視察記(2013,9)
・アメリカ視察記(2013,11)
・「軍師 官兵衛」城跡めぐり
・地元活動報告

「活動写真」
過去の写真も含めて掲載

さらに
「フェイスブック」









2013年  「 捲 土 重 来 」

    『インド視察記(2014.05.11~05.16)』

    「樽床活動レポート」に連載中。(2014.7.11終了)



     「12億の民・インド」の実態を見てきました。

     その可能性と貧困が共存している姿が

     強く印象に残っています。



菩 提 樹  (大使公邸)
1960年  天皇陛下(当時・皇太子)が植樹された。
大きく成長しています。     

政治の最大の役割は「変化にいかに対応するか!」である。
歴史始まって以来はじめて人口減少という長期トレンドに突入した我が国。
「人口減少という最大の変化にいかに対応していくか!」が政治の最大の課題である。
ピンチをチャンス!
今、大きな危機を迎えたこの時こそ、大きなチャンスがめぐってくるのである。
決して平坦な道ではないが、“道は必ず開ける”との信念を持って歩んで行きたい。





2012年 衆議院本会議 総務大臣

私の主張 一覧

2014年08月23日 「保守」とは? 「保守」とは、どのように定義すればいいのであろうか?
政治的に言えば、「保守」VS「革新」といった使い方を当たり前のようにしてきた。
また、「右」VS「左」という表現もあった。
「右」VS「左」とは、イデオロギーの座標軸の上での視点である。
世界が、アメリカ陣営とソビエト陣営に分割されていた「東西冷戦」「米ソ対立」時代には、
「保守」VS「革新」、「右」VS「左」がオーバーラップし、「保守」=「右」、「革新」=「左」のように考えられてきたのである。
しかし、1990年頃の、ベルリンの壁の崩壊、ソ連の崩壊によって、イデオロギーの時代は終わり、以来25年が経過した。
そして、今では、「新保守主義」というような表現が、頻繁に使われている。
しかし、何となく、心にフィットしない感覚がぬぐいきれない。
ここで、改めて、私なりに 「保守」とは何かを考えてみなければならないと思い至ったわけである。

(つづく)

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樽床レポート 一覧

2014年10月18日 アーカイブ・8年前の今日の私  10月18日 明治維新(3) 大久保利通

私が政治家として最も尊敬する人物は大久保利通である。
西郷隆盛と比べ、地味で、暗さが付きまとうのが後世の評価であるが、大久保利通なかりせば明治政府は成り立たなかったと考えている。倒幕の立役者の一人でもあり、なおかつ新政府を創り上げた最大の功労者である。
政治は、権力によって国家を良い方向に持っていかねばならない。しかも、「今、何をしなければならないのか。何をしてはならないのか。」さらに「将来、何をしなければならないのか。そのために、今、何をしなければならないのか。」を、現実の中で実行するしなければならない。
それをなし得たのが、維新の時の大久保利通であったと考えている。官僚機構を作り上げたのは、大久保であり、それを山県有朋が受け継いでいった。と言われている。ゆえに、大久保が暗殺されなければ、より以上の官僚国家になっていたと言う人は多い。しかし、私は、その逆で、大久保が暗殺されなければ、もっと早く民主国家になっていたとさえ思っている。
歴史に「もし」はないが、歴史の面白さは、明治の三勲といわれた「大久保利通、西郷隆盛、木戸孝允」がほぼ同時期(明治10年前後)に世を去ったことであろう。
「時代が人を生み出し、時代が人を葬っていく」

2006.10/18  樽床伸二

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