『わが師、松下幸之助』 PHP研究所 2003年3月発行 連載36

2012年02月22日NEW

 入塾して1年半が過ぎると、前半の残り半年は後半の3年に備えての準備期間であった。私は政治家を目指していたから、政治活動の準備に入ることになる。私にとって選挙区というのは、それまでは単に住んでいただけであったから、地元に帰って地域の研究・調査をすることになった。
 題して『北河内研究』。当時の大阪7区、中選挙区であった。役所や商工会議所に出向き、そこで地域のことを熟知している方をたくさん紹介してもらって話を聞きに行くということから始めた。いろいろな方と出会い、基礎的な資料がたくさん集まったが、いまになって思うと、もうひとつの収穫は人脈、ネットワークをつくることができたことであった。もう20年前になるが、当時の人脈は現在もなお生きているのに驚かされる。
 初めての選挙で事務所を貸していただいたのも、落選中に事務所を提供していただいたのも、地域研究で話を聞きに行ったことがきっかけであった。京阪沿線が中心だったから京阪電鉄にも取材にうかがったが、協力してくれた当時の企画課長は現在、同社の社長である。いまでも親しくお付き合いさせていただいている。
 2回生の最後の半年は、この地域研究のために大阪・寝屋川市の実家を拠点に活動する予定であったが、半分の3カ月になってしまい、最後は岡山県に出かけることになる。1期生の先輩、逢沢一郎氏が地元岡山から衆議院選に出馬することになり、秘書として選挙の準備活動を手伝うことになったからである。
 昭和58年(1982)12月の総選挙で落選した逢沢氏のご尊父は、政治家としては淡白な方で、まだ若かったが落選と同時に引退を表明され、後継には政経塾に行っている子息を指名した。選挙直後に連絡があり、新年早々には活動を始めるということであった。