樽床伸二 official website

私の主張:日々の気づきや、アイデアなどを政治・経済にかかわらず樽床伸二の考えを綴って参ります。

【緊急対談】vs村井嘉浩(宮城県知事)
「省エネ大国・日本」を目指して!
「格差の拡大」は、国を滅ぼす!
~「働き方改革」から20年後を展望する~
『21世紀・日本再生論』(2015・12)-36 政権交代と結果責任
『21世紀・日本再生論』(2015・12)-35 世代交代とは
『21世紀・日本再生論』(2015・12)-34 保守とは?
『21世紀・日本再生論』(2015・12)-33 消費税を、「年金・医療税」に!‐Ⅱ
『21世紀・日本再生論』(2015・12)-32 消費税を、「年金・医療税」に!
『21世紀・日本再生論』(2015・12)-31 憲法改正は加憲方式で
『21世紀・日本再生論』(2015・12)-30 地球温暖化問題は、未来への責任
『21世紀・日本再生論』(2015・12)-29 新時代のエネルギー戦略
『21世紀・日本再生論』(2015・12)-28 日本経済の構造は激変した‐Ⅲ
『21世紀・日本再生論』(2015・12)-27 日本経済の構造は激変した‐Ⅱ
『21世紀・日本再生論』(2015・12)-26 日本経済の構造は激変した
『21世紀・日本再生論』(2015・12)-25 人口減少社会という新しい時代の中Ⅱ
『21世紀・日本再生論』(2015・12)-24 人口減少社会という新しい時代の中で
『21世紀・日本再生論』(2015・12)-23 地域主権型道州制」の実現は、大阪から
『21世紀・日本再生論』(2015・12)-22 発想の転換Ⅱ
『21世紀・日本再生論』(2015・12)-21 発想の転換

『21世紀・日本再生論』(2015・12)⑲ 神学論争に終止符を打つ安全保障対策を

『21世紀・日本再生論』(2015・12)⑲
『この国の未来を創る―過去を乗り越えて―』(平成15年)

神学論争に終止符を打つ安全保障対策を

安全保障の議論は、日本においては、これまで非常にナイーブなテーマであった。タカ派だとか、戦争への道を準備しているなどと言われる。今回「緊急事態法制」というかたちで成立した有事法制もそうだ。今すぐにでも戦争が始まるような、おどろおどろしいことを想像する人もいるが、これはまったく違う。
民主主義の段階が成熟するにしたがい、何が変わるかというと、情報がオープンになるということである。独裁者の存在を許さなくなるということだ。戦前の悪夢がいまだに心の中から消えていない人もいるだろうが、現在の日本において「大本営発表」のようなものを国民が信じるとは到底思えない。第二次世界大戦前、軍部によって国民が、いかに甚大な被害を受けたか、まだ記憶に残っているかもしれないが、だからといって同じ発想でいいのかどうか。時代が大きく変わってきていることを前提に、安全保障の議論をすべきであろう。
戦争がいかに悲惨であるか、それは論をまたない。ただ、万が一のために、悲惨な戦争の被害を最小限に食い止めるのも、政治である。有事に至らなければ、それが一番いい。また、有事に至らないように努力をしなければならないのは当然である。しかし自分たちだけの考えですべてが成り立つわけでもない。そのための安全保障とは万が一に備えた保険である。国家としては最終的な備えとして準備をしておくということである。このことからも、憲法九条の改正は不可避になってくる。自衛隊が軍隊ではないと言いきっているが、このようなことが通用するはずはない。周辺諸国から見ても明らかに嘘をついていることになるし、実態と違っていることを平然と言っているようでは、国としての不信感を高めるだけだ。認めるべきは認めて、実際の姿をオープンにしていくことで信頼関係を培っていかなければならない。
軍隊のない社会が一番いいという意見があるが、その通りである。私もそうなってほしいと願っている。世界中の全ての国が同時に、軍隊をなくそうという夢のような話が実現できればいい。だが世界の現実を見れば、最後の防波堤として、わが国も軍事力を持たざるを得ないことは否定できないだろう。憲法九条をそのままにして、解釈によって軍事力を「持てない」から「持てる」に変えたり、いつの間にか拡大解釈されるようではいけない。なし崩しではなく、軍事力の範囲も明確にしなければならない。そのためには9条は改正する。「軍事力を持てる」ことを明確にし、自衛力は認めるが、他国への侵略は絶対しない。軍隊を海外に派遣する場合は、必ず国会の承認を得るなど、きちんとした歯止めを設け、しかも小学生が読んでもわかるような文章表現することである。
集団的自衛権はあるが、行使はできない。憲法があるから、という議論も私はおかしいと思っている。集団的自衛権と集団安全保障を対立概念として捉える意見が一部にあるが、これも納得しがたい。権利と体制は違うということを理解しなければならない。集団的自衛権は権利であるから、これがなければ集団安全保障には参加できないということではないだろうか。いずれにしても不毛な神学論争は、もうやめるべきである。自衛権については集団的であれ、個別であれ、認めなければならない。


国を守る基本戦略は時代に合ったものに

「わが国をどうやって守るのか」という基本戦略がなければならないが、現在の日本の防衛戦略は、十年一日のごとく変わっていない。「ソ連が北海道に上陸してくる」、すべてがここから始まっている。ソ連の北海道上陸を前提に自衛隊の配置からすべてのことが組み立てられている。ソ連は既に解体しているし、代わってロシアが北海道に上陸してくるなど、現実的には考えられない。昨今のアフガニスタンを含めて、近代戦の特徴は、かつてのノルマンディー上陸作戦のようなものでは決してない。基本的には空爆であろう。あるいはミサイル攻撃である。だから本土決戦を前提にした発想では、国の防衛はできないということである。
本土決戦、日本の国内で戦うということは、どのような時でも避けなければならない。60年前の第2次世界大戦の時ですら、沖縄を除いては本土決戦は避けている。本土決戦になる状況というのは、日本国民の半分、あるいはそれ以上の国民が生命を失うような国が壊滅する最期の戦争以外にはありえない。本土決戦になったら、日本国は崩壊することになると私は思っている。したがって、本土決戦を前提にした旧態依然の防衛戦略という発想をやめ、空から海からの攻撃をどう防ぐかということを基本に置かなければならない。しかもソ連、ロシアの上陸という非現実的な状況設定ではなく、いかなる状況にも対応できるということを模索するべきである。
空軍の重視、最大のテーマはミサイル防衛、いわゆるMD(ミサイル防衛)だと思われるが、技術的にどうなのか、現在の技術水準がどうなのか、専門家に聞かないとわからないし、まだまだ技術は進歩していくと思われるが、発想としては空爆、ミサイル攻撃にどう対応し、防衛するかということであろう。おそらくイージス艦などで海上を移動しながらミサイル防衛をするシステムになるのだろうが。基本は侵略するのではなく、敵からの攻撃に備えるということである。だったら陸軍は不要かというと、中が空洞では敵が攻撃しやすくなるだろうし、万が一の備えにも必要であろう。だが、比重としては空、海軍が中心なることは否めない。
また、日米安全保障条約は、これからも堅持していかなければならない。これはアメリカの、米軍の言いなりになることではない。日米安保の意義も、かつてとは変わってきた。目的は「東アジアの安定」である。単に日本を守るためだけではなく、アメリカのためでもある。東アジアの安定は、日米両国が協力しあって、紛争を回避することであり、それは両国の国益に大いに寄与するものである。日米安保は、すでに50年を超える歴史を持っている。再構築すべき事項は再構築していかなければならない。そこでは、集団的自衛権を明確にして、双方の役割、責任の範囲を明らかにしていかなければならない。協力すべきところは協力し、呑めないところは呑めないとして、その上で信頼関係を構築する時期に来ていると私は確信している。

ページのトップへもどる