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私の主張:日々の気づきや、アイデアなどを政治・経済にかかわらず樽床伸二の考えを綴って参ります。

「平成30年度国家予算」を考える②
「平成30年度国家予算」を考える①
【緊急対談】vs村井嘉浩(宮城県知事)
「省エネ大国・日本」を目指して!
「格差の拡大」は、国を滅ぼす!
~「働き方改革」から20年後を展望する~
『21世紀・日本再生論』(2015・12)-36 政権交代と結果責任
『21世紀・日本再生論』(2015・12)-35 世代交代とは
『21世紀・日本再生論』(2015・12)-34 保守とは?
『21世紀・日本再生論』(2015・12)-33 消費税を、「年金・医療税」に!‐Ⅱ
『21世紀・日本再生論』(2015・12)-32 消費税を、「年金・医療税」に!
『21世紀・日本再生論』(2015・12)-31 憲法改正は加憲方式で
『21世紀・日本再生論』(2015・12)-30 地球温暖化問題は、未来への責任
『21世紀・日本再生論』(2015・12)-29 新時代のエネルギー戦略
『21世紀・日本再生論』(2015・12)-28 日本経済の構造は激変した‐Ⅲ
『21世紀・日本再生論』(2015・12)-27 日本経済の構造は激変した‐Ⅱ
『21世紀・日本再生論』(2015・12)-26 日本経済の構造は激変した
『21世紀・日本再生論』(2015・12)-25 人口減少社会という新しい時代の中Ⅱ
『21世紀・日本再生論』(2015・12)-24 人口減少社会という新しい時代の中で
『21世紀・日本再生論』(2015・12)-23 地域主権型道州制」の実現は、大阪から

『21世紀・日本再生論』(2015・12)-27 日本経済の構造は激変した‐Ⅱ

『21世紀・日本再生論』(2015・12)-27

日本経済の構造は激変した‐Ⅱ

『経済成長率』か『雇用の拡大』か?
 
日本においては、経済について第一の指標は『経済成長率』です。一方、アメリカでは、『雇用の拡大』が第一のように思われます。わが国では、「経済成長率○%を目標にする」という表現が、ほとんどのところで用いられています。そして、私自身も、『経済成長率』を使って経済を語り、分析しているように思います。しかし、2013年11月、アメリカを訪問し、アメリカに進出している日系企業の幹部の方々とアメリカ南東部の州政府首脳との会議を傍聴した時に、日本とは全く異なる印象を持ちました。その会議には多くの州知事が出席され、その全員が発言されました。ノースカロライナ、サウスカロライナ、フロリダ、アラバマ、ミシシッピ州等です。その州知事全員が、『経済成長率』という表現を1度も使わなかったのです。代りに、「雇用が○人増加した」という表現を使って、経済の成果を誇っていたのです。よくよく振りかえってみると、オバマ大統領の演説でも、『雇用の拡大』という表現を使っていることを思い出しました。「200万人の雇用の拡大」といった表現です。
表現と違いだけだと言うのは簡単ですが、私は、その時から、何となく気になるところを感じていました。わが国では「言霊」と言われるように、「言葉」は私たちの思考回路、発想を規定するところがあります。さらに、私は、日本語と英語の違いが日本人と欧米人の発想の違いを作り出しているかもしれないとさえ思っています。
私たちは、日本で使う『経済成長率』とアメリカで使う『雇用の拡大』は同じ意味だと思ってきました。「本当にそうであろうか?」「それは、右肩上がりの時代の発想ではないのか?」と、最近改めて感じるようになりました。なぜならば、高度成長期を中心とした右肩上がりの時代では、経済成長率が高くなれば雇用は拡大しました。だから、同じ意味だとしても問題はなかったのです。『経済成長率』という単語のほうがイデオロギー臭もなく私たちの心にすんなりと入ってきたのではないでしょうか。少なくとも私にとってはそうでした。しかし、右肩上がりが終わり、社会が成熟段階に入れば、必ずしも経済成長率が高いことと雇用が拡大することが同じではなくなってきたのではないかと感じます。一国の『経済成長率』を上げるためには、雇用を犠牲にしても生産性を上げることを行っていることもあるのではないでしょうか。
日本だけではなく、先進国、新興国も含め、経済的格差が拡大している世界の潮流があります。『21世紀の資本論』が、世界中で一大ベストセラーになったことは記憶に新しいことです。また、アメリカは、もともと日本に比べると遥かに「格差社会」であるので、もともと『経済成長率』と『雇用の拡大』を別のこととして考えていたのかもしれません。ともかく、右肩上がりの時代の単語の使い方を改め、成熟時代にあった単語の使い方をすることが、私たちの発想を変え、現状認識を改めることにつながるような気がしています。
 単語のみならず、統計数字も、私たちの発想に大きな影響を与えます。なぜならば、数字は、現状を示す有効なものであるからです。現状認識は、統計数字によって当然変わりうるのです。その統計数字に惑わされ、現状認識を誤ってしまうこともあるのです。ここで、大手企業と中小企業の統計数字について考えてみたいと思います。
 大手企業は数が少なく、中小企業は多種多様で多くの企業が存在しています。それゆえに、大手企業を対象とした調査はわりと簡単に、しかもあまり時間をかけずに行うことができます。しかし、中小企業はあまりにも数が多いので、全体を対象にした調査を行うことは容易なことではありません。特に、マスコミがよく行う調査として、『主要企業30社のトップに聞きました』的なものがあります。主要30社といえば、大手企業の中でも特に選りすぐられた企業です。彼らの意見は、ごくごく一部の意見であることは当然です。その30社のトップの意見をもとに景気の先行きを予測するのです。 しかし、ここ20年の間に経済構造が激変し、大手企業の動向が中小企業に波及しなくなった現状において、主要30社の動向で日本経済全体を判断することにムリがあることはご理解いただけると思います。
また、昨年の年頭に、テレビのニュースで「正月のデパートでは、1000万円を超える商品の売れ行きが良くなった。今年は、景気が上向いている」という報道が多く見られました。私は、その報道を見てある種の違和感を覚えたのです。もともと1000万円を超える高額商品を買うことができる人は、非常に少ないのです。ごくごく一部の人しかいないのではないでしょうか。ちなみに、自慢にもなりませんが、私は1000万円を超える買い物を一度もしたことはありません。そして、一方で、普通の商品の売れ行きはあまり順調ではなかったようです。とすれば、全体状況は決していいとは言えない。と判断しなければならないのではないでしょうか。数字のマジックで、私たちは全体を見誤ってしまうことがあるということを分かっていなければならないと思います。
 釈迦に説法ではありますが、国内総生産(GDP)は、主に三つの要素(民間消費、民間設備投資、政府支出)によって構成されています。(GDPが、もはや経済指標としては古いものであるという意見があることは分かっていますが)2010年の数字では、

GDP(100%)=
民間消費(61.2%) 民間設備投資(16.9%) 政府支出(21.0%)

です。つまり、国内経済は、その60%以上が消費によって構成されているのであって、設備投資は、その1/3以下です。そのことは、消費が5%減少して設備投資が5%増加したとすれば、一見プラスマイナス0と思いがちですが、そうではなく、消費の5%減少分を設備投資で補おうとすれば、設備投資の15%以上の増加がなければならないのです。当たり前と言えば当たり前のことですが、そんな錯覚を私たちはしてしまうのです。日本経済にとっては、民間消費の動向が決定的に大きな要因であることを理解しなければなりません(ちなみに、アメリカは日本以上です)。しかも、その民間消費は、人口の最大のボリュームゾーンである中間層、失礼な表現かもしれませんが、つまりは普通の人の消費行動が重要であって、富裕な、一部の人の消費行動で全体を判断してはいけないのです。
 話は元に戻りますが、普通の人たちの消費行動が活発になるには、雇用が安定しなければならないのです。雇用が拡大しなければ、最終的には国内経済はおかしくなっていくのです。つまり、「雇用の拡大」と「経済成長率」は同じことではなく、「雇用の拡大」の結果として「経済成長率」が高くなっていくのです。雇用を犠牲にして生産性を上げることは、長い目で見れば国内経済をダメにしてしまうのではないでしょうか。
 先日、ある経営者の方と懇談をしました。その経営者の方は、私に、「一人でも多くの人を雇用して、それでもやっていける会社が良い企業と思っている」と語ってくれました。生産性が高いだけが優良企業の目安ではなく、雇用の最大化を図りながら存続している企業が優良企業だという考え方が日本には必要ではないだろうか。そんな企業がどんどん多くなれば日本経済は安定し、活力を持つことになるのではないだろうか。生産性の向上を否定するつもりは全くないけれども、それだけが独り歩きすることに対する警笛を鳴らされた思いがしました。そして、雇用を拡大しようとすれば、そしてそれに成功すれば、おのずとその企業の生産性は上って行くのではないだろうか。生産性を上げることは、あくまで手段であり、目的は雇用であると感じています。

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