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私の主張:日々の気づきや、アイデアなどを政治・経済にかかわらず樽床伸二の考えを綴って参ります。

「平成30年度国家予算」を考える②
「平成30年度国家予算」を考える①
【緊急対談】vs村井嘉浩(宮城県知事)
「省エネ大国・日本」を目指して!
「格差の拡大」は、国を滅ぼす!
~「働き方改革」から20年後を展望する~
『21世紀・日本再生論』(2015・12)-36 政権交代と結果責任
『21世紀・日本再生論』(2015・12)-35 世代交代とは
『21世紀・日本再生論』(2015・12)-34 保守とは?
『21世紀・日本再生論』(2015・12)-33 消費税を、「年金・医療税」に!‐Ⅱ
『21世紀・日本再生論』(2015・12)-32 消費税を、「年金・医療税」に!
『21世紀・日本再生論』(2015・12)-31 憲法改正は加憲方式で
『21世紀・日本再生論』(2015・12)-30 地球温暖化問題は、未来への責任
『21世紀・日本再生論』(2015・12)-29 新時代のエネルギー戦略
『21世紀・日本再生論』(2015・12)-28 日本経済の構造は激変した‐Ⅲ
『21世紀・日本再生論』(2015・12)-27 日本経済の構造は激変した‐Ⅱ
『21世紀・日本再生論』(2015・12)-26 日本経済の構造は激変した
『21世紀・日本再生論』(2015・12)-25 人口減少社会という新しい時代の中Ⅱ
『21世紀・日本再生論』(2015・12)-24 人口減少社会という新しい時代の中で
『21世紀・日本再生論』(2015・12)-23 地域主権型道州制」の実現は、大阪から

『21世紀・日本再生論』(2015・12)-36 政権交代と結果責任

『21世紀・日本再生論』(2015・12)-36

政権交代と結果責任


政治は結果責任を取らねばならない。当たり前のことではあるが、わが国ではそのことが強く意識されないようになってしまったかもしれません。このことが、わが国の政治における大きな問題であると思っていました。
 しかし、2009年には、自民党から民主党に政権が交代し、次の衆議院選挙では、民主党から自民党に政権が交代しました。つまり、振り子のように政権が揺れ動いたのです。その原因は、自民党が失敗したから野に下ったのであり、その次は、民主党が失敗したからでありました。ともに、結果責任を取るように政権から滑り落ちたのです。自民党の失敗は、50年以上にわたる長期政権(38年間の単独政権と、1年間の細川連立政権後の15年間の連立政権)による政権の硬直化です。民主党の失敗は、野党体質を脱却する時間がなく、間違った政治主導を行ってしまったことにあると思っています。
 現在、自民党の絶対多数の中で、“1強多弱”とさえ言われ、自民党政権は安定を取り戻したように見えるかもしれません。しかし、自民党は、民主党の失敗を目の当たりにしたことによって、政権運営を巧みに行うことを学びましたが、長期政権の体質が根強く残っており、時代の変化に十分に対応しているとは思えません。何となく多くの人が危ういものを感じているのはそのことによるのではないでしょうか。


政治における結果責任

そこで、まず、「政治における結果責任」について考えてみたいと思います。理論が正しければそれですべてがうまくいくのであれば、政治は不要です。学者が集まって国家を運営すればいいのです。人間社会の中は、様々な立場・境遇の人の集合体であり、それぞれの人の立場や経験によって意見は異なります。それゆえに絶対的に正しいことはないのです。そんな中で、政治は国家権力を基に施策を決定し推進していかねばなりません。
 それゆえ、崇高な考えに基づいて推進した施策であっても、結果が悪ければ責任を取ることが政治には求められると私は考えています。個人としては、結果も大事だが、「思い」や「努力の過程」が大事なことはあります。しかし、政治は国民の暮らしを任されるのであるから、“努力しましたが失敗しました”ではすみません。冷酷かもしれないが「結果」が全てだと思っています。それが嫌ならば、初めから政治の世界に足を踏み入れることが間違っています。しつこいようですが、政治に携わる者には国家権力が伴ってくる。そして普段はそれを行使しているのであるから、いざという時には率先してことに当たり、結果にも責任を取らねばならないのです。だから私は、当事者の1人として、民主党の敗北を素直に受け入れなければならないと思っています。
ここで、「政権交代とは?」を、確認しておきたいと思います。かつての55年体制下においては、政権交代とは体制の転換でした。しかし、今では、「資本主義体制を変える」という体制の転換を望んでいる人は数えるほどしかいないでしょう。ゆえに、政権交代とは、「失敗したら責任をとって野に下る」ということであると思っています。そして、民主主義であるから、それを判断するのは国民です。選挙によって。
政治主導の国家運営を実現するために、「政治が責任を取る」ということが必要です。そして、政治の責任の取り方は、昔は「死(殺される)」ということであったかもしれませんが、今では、「政権を離れ、野に下る」ということです。よって、「常に政権交代が起こりうる」ことが、日本の政治を活性化し、わが国の再生に繋がるのです。それゆえに、「1強多弱」の状況は望ましいものではなく、常に野党が頑張らなければならないのです。
また、官僚支配の政治を打ち破っていくためにも、「政治の結果責任」が重要だと思っています。官僚を全面否定してしまうと国家は成り立ちません。なぜならば、官僚がいなくなると事務作業・実務をする人がいなくなり、どんな素晴らしい政策であっても実行できなくなってしまうからです。問題なのは、政治が官僚機構の言いなりになっていることだと思います。私は、「政治が方向性を決め、官僚がそれに基づいて実務を行い、その過程において方向性から外れることのないように政治がチェックをし、出た結果には政治が責任を取る」政治が、官僚支配を脱却したものだと考えています。しかし、政治が責任を取らないから、官僚が責任を回避するために前例主義に陥っていく。政治が責任を取る体質を持てば、前例に囚われない思い切った施策も実行され、官僚支配はなくなるのではないでしょうか。


総務大臣就任に当たり

3年前、総務大臣就任に当たり、私は、次の様な挨拶をしました。
「総務省の抱えている政策課題を細部にわたってここで述べることはいたしません。ただ、1点だけ申し上げます。私たち民主党政権は、これまで“政治主導”のあり方で試行錯誤を繰り返してきました。私は、政治家(政務3役=大臣、副大臣、大臣政務官)が、官僚の皆さんの仕事をすることが政治主導だとは思っていません。私たち政治家は、責任を取るためにここにいるのです。方針を決め、その結果に責任を取ることが私たちの役割です。皆さんは、決めた方針のもとで、全力でそれぞれの部署において仕事に取り組んでいただきたい。私は、その責任を取ることから逃げることはいたしません。」
そして、私は、そのことを私なりに実行したと多少の自負を持っています。
次に、大げさに言えば、靖国問題の底流にもこの問題が流れていると思っています。俗に言われるA級戦犯の方々は東京裁判での認定です。「東京裁判」は、実態としては「勝った国が負けた国を裁いたものであって、裁判というものには値しないもの」です。しかし、終戦直後といった当時の状況を考えると、当時の人たちは、苦渋の決断のもと、東京裁判の判決を受け入れることによって国際社会に復帰する《政治判断》、さらには、国体としての「天皇制度」の維持を確保する《政治判断》をしたのだと思っています。さらに、当時の国家指導者(政治家)は、戦争遂行についての国民への責任を取らねばなりません。いかにその動機が崇高なものであっても、敗戦・数百万人の犠牲者を出したことの結果責任は逃れられない。後は後世の歴史が判断することであって、政治家としてはその時点で責任を取ることが必要です。その責任の取り方が、A級戦犯として自らを犠牲にすることと自ら判断されたのではないでしょうか。
 先の大戦に突入するに当たり、「統帥権」という概念を作り、天皇陛下を錦の御旗にして戦争を遂行した底流には、明治以来の官僚機構(軍隊はその最たるものであろう)が日露戦争で勝利したことによって硬直化したことがあったと思います。その結果、世界の現状把握・日本の現状把握を誤り、国策を間違えたことは事実であろうと思います。俗に言うA級戦犯の方には申し訳ないが、国家指導者である限りは、その責任は免れない。よって、一般の戦争犠牲者とは違う。それが政治家の宿命なのです。私は、それが靖国分祇の根拠であると考えています。


 野党は、常に「政権交代」を目指していかねばならない

 「政権交代とは、結果責任をとることである」。と述べてきました。現在の社会において、政権交代は革命とは異なる。また、イデオロギーの時代が終わったことからも、資本主義から社会主義・共産主義への転換でもない。政権運営に失敗した責任を取って野に下ることです。その判断は、選挙によって行われるのです。
 現在、政権は、自民党の安倍政権であるが、その主要政策のほとんどは民主党政権のものと変わりません。私が参画した民主党政権では、「その実行において、あまりにも稚拙であったがゆえに、何もできなかった」と国民の皆様に判断されたのである。そのことが、「政権交代とは、結果責任をとることである」を証明しています。
 さらに、過去2回の政権交代が、ともに100数十の議席から300近くの議席に躍進したことによってもたらされた経験から考えれば、現行の衆議院選挙(政権選択の選挙)の制度(小選挙区比例代表並立制)のもとでは、野党は常に政権交代を選挙の度に目指していかねばならないと思っています。結果は、国民の皆様の判断ですから、政権交代が行われる時もあれば、そうでない時もあるでしょう。しかし、野党は、常に挑戦者であり続けなければなりません。さらに、その可能性を感じてもらえる状況を作り出していかねばなりません。そのためには、経験則から言えば、100名を超える議席を持って衆議院選挙に臨まなければならないのです。現在、私が野党の再編・結集を主張しているのはそういった理由からなのです。
 そういう状況の中で、常に国政に緊張感が生まれ、結果として、いい結果が生まれてくると考えています。特に、歴史的転換期にある今、頻繁に政権交代が行われることは、長い目で見れば望ましいことであるかもしれません。体質転換、発想の転換が、より早く進んでいくのではないかと思われます。ゆえに、今、政治に身を置く者として、私は、次回の衆議院選挙で、はっきりと政権交代を目指していく状況を作り出していきたいと願っています。
そして、もう1度、さらなる本格的な政界再編を目指していきたいと考えています。人口減少が現実のものとなった今、これからが本番だと決意しています。私自身も野に下り、もう一度、一から出直しの時を迎えています。自らの国政における過去にけじめをつけ、再出発を果たしていきたいと思っています。

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